起業前夜 / 7人の物語

第2話 / 三木谷 浩史

銀行員から、商店の味方へ

三木谷浩史:十三軒の店から、常識をひっくり返す

インターネットで物を買わない時代に、誰の可能性を信じるか。

大学時代〜2023年 約4,319字・約9分

この話の目次

起業前 / 学生時代から

テニスコートから、議論する教室へ

三木谷浩史の学生時代には、テニスコートがあった。一橋大学では体育会庭球部に所属し、最後は主将を務めたと、母校の入学式に寄せた祝辞で振り返っている。後の巨大なネット企業の経営者にも、練習し、試合をし、仲間と組織を動かす大学生の時間があった。そこに楽天市場の事業計画が完成していたわけではない。

大学を卒業した1988年、日本興業銀行へ入る。仕事の経験を積んだ後には、ハーバード・ビジネス・スクールへ留学し、1993年にMBAを取得した。大学卒業で学びの時期が終わったのではない。実務に触れたからこそ、学ぶ内容や、そこで出会う考え方にも別の意味が加わっていった。

母校のインタビューで、三木谷は討論を通じて考える授業の印象を語っている。知識を覚えるだけでなく、状況を与えられたとき、自分ならどのように判断するかを問う学び方だった。また、大企業の枠内で働くことだけを前提とせず、新しいことを始める起業家精神が重視されていたことにも衝撃を受けたという。

テニスの主将、銀行員、海外の経営大学院生。この経歴を、起業に必要な資格の一覧として見る必要はない。三木谷の場合には、組織に属する経験と、組織の外から新しい価値を作るという発想が、時間をかけて重なっていった。まっすぐ会社を目指す道の途中に、別の道の存在を知る時間があったのだ。

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三木谷浩史編 第1場面「将来は、すでに決まっている?」のAI生成イラスト(創作)01
創作のセリフ:この先、自分は何をするんだろう。

1988年〜・日本興業銀行

将来は、すでに決まっている?

銀行の仕事では、企業を資金の面から見る。何を売り、どのように利益を生み、資金をどう回すのか。自分で会社を経営する前にも、企業という仕組みに触れる場所はある。ただし、他社の事業を理解することと、自分の事業の結果を引き受けることは、同じではない。

ハーバードで触れた起業家精神は、銀行での経験を無意味にするものではなかった。むしろ、会社を分析する力を、自分で会社を作る方向へ使う可能性を開いたと読める。確かな組織に属することを将来の唯一の答えにせず、別の形で社会へ関わる選択肢を持つようになる。

それでも、学んだ途端に会社を辞めたわけではない。経歴の上ではつながって見えることも、その時々には、まだ結果の分からない選択だった。後から楽天の規模を知った読者が、銀行員時代を単なる前座にしてしまうと、会社の外へ踏み出すときの距離が見えなくなる。

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三木谷浩史編 第2場面「当然だと思っていた明日が、揺らぐ」のAI生成イラスト(創作)02
創作のセリフ:自分の時間を、何に使うべきか。

1995年・阪神・淡路大震災

当然だと思っていた明日が、揺らぐ

1995年の阪神・淡路大震災は、三木谷にとって、経営理論とは別の場所から訪れた転機だった。故郷の神戸で身近な人を失った経験について、本人は2020年の新入社員向けメッセージでも語っている。後年の本人の説明によれば、社会へ価値を届けたいという思いが強まり、起業を決めるきっかけになった。

ここから、震災が起業を成功させたと結びつけることはできない。災害は、誰かの成長のために起きた出来事ではない。ただ、同じ仕事を続けると思っていた一人の人が、残された時間を何に使うのかを考え直した。その変化が、仕事の選び方に表れたことは、本人の言葉から読み取れる。

銀行から独立することは、既存の組織を否定することとも違う。自分の判断で始め、自分の判断の結果を引き受ける場所へ移るということだった。震災の経験、海外で知った起業家精神、それまでの実務。その複数の背景が重なった先に、楽天創業の前夜がある。

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三木谷浩史編 第3場面「自分の答えを、事業にする」のAI生成イラスト(創作)03
創作のセリフ:商店の力を、ネットで広げられないか。

1996年〜1997年

自分の答えを、事業にする

独立後、三木谷は1996年にクリムゾングループを設立し、翌年に楽天の前身となる会社を作る。最初から、決済、旅行、金融、通信が一体になった巨大なサービス群を運営していたわけではない。ネットで商売を始めたい店舗に、使える売り場を提供するという、具体的な入口から動き出した。

モールを作る方法には、独特の難しさがある。出店する店が少なければ、買い手は訪れない。買い手が来なければ、店は参加する理由を見つけにくい。まずどちらか片方を大量に集めれば自動的に解決するわけでもなく、最初の店と最初の買い手の間に取引を生まなければならない。

会社が自分で大量の商品を仕入れて売る形と比べると、店主の知識や商品の個性を取り込める。一方で、店ごとの事情も異なる。商品をそろえることだけでなく、店が営業できるようにする仕事が必要になる。三木谷が選んだのは、自分一社の店舗を大きくする商売から、他の商店が力を発揮できる場を作る商売への入口だった。

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三木谷浩史編 第4場面「サーバー一台。店は十三軒」のAI生成イラスト(創作)04
創作のセリフ:まず、この十三軒から始めよう。

1997年5月

サーバー一台。店は十三軒

従業員6人、サーバー1台、13店舗。創業時の小ささは、いまでは覚えやすい数字になっている。しかし当時は、その数字の先に十分な取引が生まれる保証などなかった。利用者がネット上の店を信頼し、商品を注文し、代金を払い、商品を受け取る。その一連の体験が成立して、初めて市場になる。

通信販売そのものは、インターネット以前からあった。ネットによって変わるのは、店の情報を遠くへ届け、内容を更新し、注文を受ける方法である。つまり、技術を導入しただけで商店の強みが自動的に伝わるわけではない。商品がなぜ良いのか、どんな客に向くのかを、画面の中へ持ち込む必要があった。

この初期の挑戦で、店主は単なる在庫の提供者ではない。商品を知り、客に説明し、商売を工夫する人でもある。その力をネットへ運べるかどうかが、モールの魅力を左右する。楽天市場の物語は、ネット企業一社の技術力だけではなく、参加した商店の仕事と一緒に始まっている。

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三木谷浩史編 第5場面「売り場だけ渡して、終わりにしない」のAI生成イラスト(創作)05
創作のセリフ:店主が使えて、初めて売り場になる。

創業期〜2002年・出店支援と料金体系

売り場だけ渡して、終わりにしない

出店した後も、商店には学ぶことがある。画面上での見せ方、客への応対、商品の説明、注文後の運営。楽天市場が目指した、コンピューターに詳しくなくても店を開けるという考え方は、機能を使いやすくすることと、店が商売できることの両方に関わっている。

モールの側から見れば、店の売上が伸びれば取引の場としての価値も増す。逆に、出店料を受け取っただけで店が売れずに去っていけば、市場の厚みは育たない。売り場を提供する企業と、その売り場で商売する人の利益を、どのように結びつけるか。この設計は、成長するほど重要になった。

2002年には、従量課金を軸とした料金体系へ移行する。店が売る規模とモールへ払う費用の関係を変える、大きな事業モデルの転換だった。同じ年にポイントの仕組みも始まる。最初のモールをそのまま大きくするだけでなく、何に対価を受け取り、どう再訪を促すかという仕組みまで変えていった。

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三木谷浩史編 第6場面「小さな市場が、次の資金を手にする」のAI生成イラスト(創作)06
創作のセリフ:買い物の、その前後まで支えられる。

2000年〜・上場、ポイント、経済圏

小さな市場が、次の資金を手にする

2000年の株式公開で手にした資金と知名度は、楽天が他分野へ進む足場になった。その後、旅行や金融などのサービスがグループへ加わっていく。だが、違う事業を傘下へ集めるだけなら、単に会社の一覧が長くなるだけだ。利用者の体験として、それらをどうつなぐかが次の課題になる。

2002年11月に始まったポイントは、その接点の一つだった。楽天市場での買い物にポイントが付く仕組みは、その後、買い物で使う、別のサービスでも貯める・使うという方向へ広がる。会社の組織図では離れている事業も、利用者から見てつながっていれば、再び使う理由になる。

ただし、ポイントを出せば無条件に利益が増えるわけではない。特典には費用があり、それによって増えた利用がどれだけ事業へ返るかを見る必要がある。成長の物語は、サービス数を増やす話から、複数のサービスを結びつけて利用者との関係を続ける話へ変わっていく。これが経済圏という構想の、日常に近い側面だった。

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三木谷浩史編 第7場面「画面の中の会社が、街の名前になる」のAI生成イラスト(創作)07
創作のセリフ:この名前を、地域の人と育てていく。

2004年〜2012年・野球、海外、英語化

画面の中の会社が、街の名前になる

2004年、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生する。新球団の誕生は、楽天を知らなかった人の目にも、その名前が触れる機会になった。買い物や金融のサービスは利用者にしか見えにくいが、野球は応援や地域の話題として広がる。画面の中で取引が成立する企業が、試合の結果で人々の会話に登場する企業へもなっていった。

一方、球団の経営を、会社の名前を宣伝するだけの道具にはできない。選手、職員、地域の人、応援するファンが関わる。市場や金融とは異なる時間の流れの中で、成績や運営への期待に向き合う仕事になる。新しい分野へ広がるたびに、同じ経営者でも学び直すものが増えていく。

さらに海外展開を進める中で、社内の言葉にも手を入れた。2010年から英語の社内公用語化に向けた取り組みを進め、2012年7月に正式移行する。世界にサービスを売るだけでなく、異なる国の人が一緒に働く組織へ変える判断だった。学生時代と経営大学院で経験した、言葉を越えて議論する環境が、今度は自分の会社の課題になる。

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三木谷浩史編 第8場面「次の挑戦は、もっと重い」のAI生成イラスト(創作)08
創作のセリフ:挑戦を広げるほど、背負うものも増える。

2020年〜2023年・携帯参入と資金調達

次の挑戦は、もっと重い

2020年、楽天モバイルは携帯キャリアサービスを本格開始する。携帯キャリアへの本格参入は、楽天の拡大の中でも性格の違う挑戦だった。モールなら売り場を作り、参加する商店を増やせる。通信では、利用者が日々使う回線の品質を、広い地域で確保しなければならない。契約した瞬間だけでなく、その後もつながることが、商品になる。

そこでは、基地局の整備、端末、顧客獲得、他社回線の利用など、継続的な支出が発生する。サービスの会員基盤があっても、通信設備を持つ事業の投資負担まで消えるわけではない。既存の強みを使える部分と、新しく資金や能力を用意しなければならない部分を、分けて考える必要があった。

2023年の新株式発行に関する開示でも、調達資金の一部をモバイル事業の設備や運転資金へ充てる計画が示された。最初の13店舗からの出発は、新しい市場を信じる挑戦だった。通信への参入では、その信念に加え、投資をどう継続するかという財務の課題が、前面へ出てくる。

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起業後 / その先の時間

起業後の時間を、もう一歩先まで

三木谷の起業後の歩みには、三つの異なる拡大が見える。一つ目は、出店する商店や買い手を増やす拡大。二つ目は、旅行、金融、コンテンツなどへ、提供するサービスを増やす拡大。そして三つ目は、通信のように、より重い設備と資本を必要とする領域へ入る拡大である。

これらは、すべて同じ成長の延長ではない。商店との関係を作る力、複数のサービスを組み合わせる力、巨大な投資を継続する力は、それぞれ違う。前の段階で成功した方法を持ち込めることもあれば、持ち込むだけでは足りないこともある。会社が大きくなるほど、創業者の一つの得意技だけでは回せなくなる。

学生時代の主将経験や、銀行・経営大学院での学びが、すべての判断を正解にしたわけではない。それでも、仲間と組織を動かす経験、企業を資金から見る経験、異なる意見を議論する経験は、起業後の場面ごとに、別の形で読み直せる。学生時代を知ることで、その後の経営を、突然現れた天才の仕事として片づけずに済む。

この物語は、未来の楽天の最終評価で閉じない。ある時期の成功が、その次の巨額投資の成功まで保証するわけではないからだ。十三軒の店を信じて始めた企業は、膨大な利用者と資金を背負う企業になった。その変化の中で、誰を力づける市場なのかという最初の問いが、何度も違う重さで返ってくる。

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出典と事実確認(9件)
  1. 楽天証券HD:三木谷浩史の略歴 ↗
  2. 楽天公式:2020年新入社員へのメッセージ ↗
  3. 楽天グループ:楽天の歴史 ↗
  4. 一橋大学:2021年度入学式祝辞・学生時代の回想 ↗
  5. 一橋大学:三木谷浩史との対談・経営大学院での学び ↗
  6. 楽天モバイル:三木谷浩史の経歴 ↗
  7. 2006年の開示:楽天ポイントの展開の記録 ↗
  8. 楽天25年の歩み:海外展開と社内公用語化 ↗
  9. 2023年:新株式発行と調達資金使途の開示 ↗

本人の回想は、後年語られた内容として扱っています。動機や法的評価を推測で補っていません。歴史の全期間や直近の役職・業績を網羅するものではありません。

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