起業前 / 学生時代から
テニスコートから、議論する教室へ
三木谷浩史の学生時代には、テニスコートがあった。一橋大学では体育会庭球部に所属し、最後は主将を務めたと、母校の入学式に寄せた祝辞で振り返っている。後の巨大なネット企業の経営者にも、練習し、試合をし、仲間と組織を動かす大学生の時間があった。そこに楽天市場の事業計画が完成していたわけではない。
大学を卒業した1988年、日本興業銀行へ入る。仕事の経験を積んだ後には、ハーバード・ビジネス・スクールへ留学し、1993年にMBAを取得した。大学卒業で学びの時期が終わったのではない。実務に触れたからこそ、学ぶ内容や、そこで出会う考え方にも別の意味が加わっていった。
母校のインタビューで、三木谷は討論を通じて考える授業の印象を語っている。知識を覚えるだけでなく、状況を与えられたとき、自分ならどのように判断するかを問う学び方だった。また、大企業の枠内で働くことだけを前提とせず、新しいことを始める起業家精神が重視されていたことにも衝撃を受けたという。
テニスの主将、銀行員、海外の経営大学院生。この経歴を、起業に必要な資格の一覧として見る必要はない。三木谷の場合には、組織に属する経験と、組織の外から新しい価値を作るという発想が、時間をかけて重なっていった。まっすぐ会社を目指す道の途中に、別の道の存在を知る時間があったのだ。
[4] [5] [6] 起業後 / その先の時間
起業後の時間を、もう一歩先まで
三木谷の起業後の歩みには、三つの異なる拡大が見える。一つ目は、出店する商店や買い手を増やす拡大。二つ目は、旅行、金融、コンテンツなどへ、提供するサービスを増やす拡大。そして三つ目は、通信のように、より重い設備と資本を必要とする領域へ入る拡大である。
これらは、すべて同じ成長の延長ではない。商店との関係を作る力、複数のサービスを組み合わせる力、巨大な投資を継続する力は、それぞれ違う。前の段階で成功した方法を持ち込めることもあれば、持ち込むだけでは足りないこともある。会社が大きくなるほど、創業者の一つの得意技だけでは回せなくなる。
学生時代の主将経験や、銀行・経営大学院での学びが、すべての判断を正解にしたわけではない。それでも、仲間と組織を動かす経験、企業を資金から見る経験、異なる意見を議論する経験は、起業後の場面ごとに、別の形で読み直せる。学生時代を知ることで、その後の経営を、突然現れた天才の仕事として片づけずに済む。
この物語は、未来の楽天の最終評価で閉じない。ある時期の成功が、その次の巨額投資の成功まで保証するわけではないからだ。十三軒の店を信じて始めた企業は、膨大な利用者と資金を背負う企業になった。その変化の中で、誰を力づける市場なのかという最初の問いが、何度も違う重さで返ってくる。
[3] [8] [9]