起業前夜 / 7人の物語

第5話 / 藤田 晋

勢いで始め、続く組織を作る

藤田晋:上場の拍手が、消えたあとで

会社を作る力と、会社が続く力は同じなのか。

高校時代〜2025年 約4,390字・約9分

この話の目次

起業前 / 学生時代から

音楽の夢が、会社を作る夢に変わるまで

高校時代の藤田晋には、音楽の夢があった。福井でバンド活動に熱中し、将来はミュージシャンになりたいと考えていた。本人が大学で行った講演では、やがて自分が演奏する側ではなく、レコード会社を作って仲間を世に送り出す側を目指すようになったと振り返っている。起業への関心は、初めからネット広告の市場規模を計算して生まれたものではなかった。

青山学院大学へ進むために上京する。しかし大学生活も、勉強だけで一直線に将来を準備したというものではない。麻雀に熱中した時期があり、複数のアルバイトも経験した。後から経営者の経歴を読むと、すべてが成功のための伏線に見えるが、当時の本人が最初からその意味を知っていたわけではない。

大学時代に大きかったのは、若い経営者のいる会社で働いた経験だった。生き生きと仕事をする人たちと、近い距離で会社を動かす経営者を見る。自分とは違う世界の特別な人物に思えていた経営者が、話せる距離にいる。会社を作るという目標が、遠い夢から、実際に選べる道へ近づいていった。

営業のアルバイトでは、商品を用意するだけでは客が買ってくれないことを知る。何が必要なのかを聞き、価値を説明し、契約へつなげる。後のサイバーエージェントは技術の会社にもメディアの会社にもなっていくが、その創業者の最初の武器には、人へ提案して仕事を作る経験があった。音楽への憧れが、人と事業を動かす方へ、少しずつ形を変えた。

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藤田晋編 第1場面「一年目の社員が、次の扉を見る」のAI生成イラスト(創作)01
創作のセリフ:いつか、会社を作る側へ。

1997年

一年目の社員が、次の扉を見る

1997年に入社したインテリジェンスは、若い藤田にとって、起業家が身近にいる職場だった。ここでも中心にあったのは営業の仕事である。客が何に困っているかを知り、提案し、結果を数字で確かめる。経営者になりたいという抽象的な目標を持ちながら、目の前では具体的な成果を求められていた。

本人の創業回想には、仕事へ集中して成果を伸ばした時期が記されている。ただ、その働き方を誰にでも勧められる成功の条件とはしない。長い労働時間だけを取り出しても、何を売り、顧客のどんな必要に応えたのかは分からないからだ。次の起業へつながったのは、働いた量だけでなく、商売を自分で動かす手触りだった。

学生時代に見た若い経営者と、社員として向き合った顧客。その両方があることで、会社を作りたいという気持ちは、自分の得意な仕事を起点に考えられるものへ近づいていく。まだ事業のすべてが決まっていなくても、自分が担える役割は少しずつ見えていた。

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藤田晋編 第2場面「若い会社が、新しい広告を売る」のAI生成イラスト(創作)02
創作のセリフ:ネットの広告を、事業にする。

1998年3月

若い会社が、新しい広告を売る

1998年3月、サイバーエージェントを設立する。1998年に会社を設立したとき、インターネット広告は、すでに決まった巨大市場の中で誰が売るかを争うだけのものではなかった。広告を出す側にも、新しい媒体へ予算を使う理由を説明しなければならない。ネットの利用が増えることと、広告の取引が増えることの間には、営業や商品設計の仕事があった。

創業期には、クリック保証型の広告システム「サイバークリック」などを展開する。藤田の回想によれば、そのシステム開発を担ったのが堀江のオン・ザ・エッヂだった。企画し、システムを作り、売る。それぞれ得意な役割を組み合わせることで、若い会社同士でも新しいサービスを世に出せた。

この関係を知ると、相関図に引かれた二人の線は、単なる友人関係の記号ではなくなる。営業力と開発力をどう合わせるかという、創業期の具体的な仕事のつながりだった。会社が小さいとき、全部の能力を社内で完成させてから始める必要はない。しかし、外部と組むにも、自分たちが何を担うかは明確でなければならなかった。

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藤田晋編 第3場面「二十六歳、上場の壇上へ」のAI生成イラスト(創作)03
創作のセリフ:ここが、ゴールじゃない。

2000年3月

二十六歳、上場の壇上へ

創業から約2年での上場は、成長の速さを象徴する出来事になった。若い経営者へ光が当たり、会社の知名度も高まる。資金を調達できることは、新しい事業や人材へ投資する余地も広げる。だが、株式市場から評価されることと、組織の内側に長く働く理由があることは、別々に作らなければならない。

上場した会社には、成長への期待が集まる。その期待に応えようとすれば、経営者の視線は数字や次の事業へ向きやすい。一方、日々働く人には、仕事の手応えや将来の見通し、組織への信頼が必要になる。外から見える華やかさが、社内の課題を小さくしてくれるわけではなかった。

上場の拍手を物語の結末にすると、その後に始まる経営が抜け落ちる。藤田の章では、この拍手を、むしろ次の難しさへ入る扉として置く。事業を立ち上げて急速に大きくする能力に加えて、大きくなった会社へ人が残り、働き続ける環境を作る能力が、ここから問われていく。

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藤田晋編 第4場面「空席が、増えていく」のAI生成イラスト(創作)04
創作のセリフ:会社は残っても、人が残らなければ。

2000年代初頭

空席が、増えていく

藤田は後年、ネットバブルの頃に採用した人が、その後多く去ったと振り返っている。人の入れ替わりが激しい職場は、残った人にも負担をかける。新しい人を採るたびに説明が必要になり、経験が組織の中へ蓄積しにくい。退職者の数は、採用の問題であると同時に、会社が何を積み上げられるかの問題でもあった。

実力のある人を集めれば、自然に強い会社になる。その考え方だけでは、うまくいかないことがある。個人が高い成果を出せても、互いに仕事を引き継げず、次の人を育てられなければ、事業は毎回同じ場所でつまずく。短期の成果と、会社全体の継続は、必ずしも同じ方向へ動かない。

この現実を前に、経営の対象が変わる。広告を売る、売上を伸ばす、新しいサービスを始める。それらに加えて、どのような会社なら人が長く働けるのかを考えなければならない。藤田にとって、社内へ向ける視線が、事業へ向ける視線と同じくらい重要になる局面だった。

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藤田晋編 第5場面「強い個人より、続く会社を」のAI生成イラスト(創作)05
創作のセリフ:長く働ける会社に、変えよう。

2003年・経営の見直し

強い個人より、続く会社を

2003年の役員合宿などを通じ、人事の方針を見直していく。長く働く人を奨励する考え方は、当時の若いネット企業にありがちだった、個人の実力と短期の成果へ強く傾く姿勢に、別の軸を加えるものだった。能力を問わなくなるのではなく、能力を社内で育てていく時間も引き受ける。

組織を変える仕事は、新商品を発表するようには外から見えない。採用、配置、評価、育成、日常の会話。その一つひとつが、人が残る理由にも、去る理由にもなる。経営者が方針を話しただけで変わるのではなく、働く人が経験する制度や運営へ、具体的に落とし込む必要があった。

その後には、社内の新規事業提案、異動の仕組み、社員が参加する会議など、事業と人を動かす取り組みが続く。こうした仕組みは、創業者一人の発想だけに成長を依存しないためのものとも読める。自分が毎回最前線に立たなくても、新しい仕事を始める人が現れる会社へ。経営の狙いは、少しずつ組織の再現性へ広がっていった。

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藤田晋編 第6場面「広告を売る会社が、居場所を作る」のAI生成イラスト(創作)06
創作のセリフ:人が毎日、戻ってきたくなる場所を。

2004年9月

広告を売る会社が、居場所を作る

2004年9月、Amebaが始まる。Amebaを始めると、広告を売る側として知っていたネットとは、別の難しさが現れる。利用者が自分で書き、他の人が読み、また戻ってくる。毎日使う理由は、サービスの説明や広告だけでは作れない。投稿する人と読む人の行動の間に、続けたくなる体験が必要だった。

メディアの事業では、利用者が集まるまでの時間と、収入が育つまでの時間がずれることもある。まだ大きな収益になっていない段階で、人や開発へ投資を続ける判断が必要になる。現在の採算だけを見れば止めたくなる事業にも、将来の利用の厚みがあるかもしれない。逆に、期待だけで続ければ資金を使い続けることにもなる。

そこで問われるのは、始める勇気だけではなく、変える判断と続ける判断をどう分けるかだ。広告の営業で成果を出す速さとは違う時間を、会社の中に持つ。組織づくりの転換は、こうした長く育てる事業を抱えることとも結びついていく。

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藤田晋編 第7場面「一つの当たりで、終わらせない」のAI生成イラスト(創作)07
創作のセリフ:新しい挑戦を、別のチームからも。

2011年

一つの当たりで、終わらせない

2009年に本格参入したゲーム事業は、2011年のCygames設立などを通じて厚みを増していく。ここでは、良い技術を持つだけでも、広告の営業が得意なだけでも、十分ではない。企画、絵や音、開発、運営など、多くの専門性が組み合わさって作品が生まれる。

さらに、ヒットした後にも仕事は続く。利用者の期待に応えながら内容を更新し、サービスを安定して動かす。一つの作品の成功と、次の作品を作れる会社であることは、同じではない。会社の成長を一度の大当たりだけに預けず、複数のチームが挑戦できる体制をどう持つかが重要になる。

音楽の才能を持つ仲間を世に出したいという高校時代の発想と、多様な制作者が作品を作る会社の経営は、直線的な因果関係ではない。それでも、自分がすべてを表現する側ではなく、表現する人が働ける場を作る側に回るという点で、遠いところに共鳴がある。経営の対象は、数字だけでなく、創作の集団にも広がった。

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藤田晋編 第8場面「拍手より長い時間を、引き受ける」のAI生成イラスト(創作)08
創作のセリフ:始める勇気を、続ける力に変える。

2016年〜2022年・ABEMA開局と転機

拍手より長い時間を、引き受ける

2016年のAbemaTV開局は、さらに別の時間を会社へ持ち込んだ。テレビ朝日との共同事業で映像を届けるには、番組の制作や調達、編成、広告、配信技術などが関わる。インターネットへ映像を載せれば、すぐにテレビの代わりになるわけではない。利用者がいつ、なぜ開くのかから作る必要があった。

藤田は、メディアとして成立するまでの長い時間を意識して取り組んだと語っている。日々の利用を増やす地道な運営に加えて、多くの人が知るきっかけになる番組や出来事も必要になる。会社の他事業が稼ぐ力を持つことは、この長期投資を支える条件の一つでもあった。

2022年のFIFAワールドカップ全64試合の無料生中継は、大きな転機になった。視聴する人が増えるだけでなく、広告主や権利者などの事業上の相手との関係にも変化があったと、公式の振り返りは説明する。大規模な視聴を安定して支える技術も、画面の裏で結果を問われた。

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起業後 / その先の時間

起業後の時間を、もう一歩先まで

2025年度には、会社はメディア&IP事業の黒字化を公表した。ここで注意したいのは、これは複数の事業を含む区分の話であり、ABEMA単体だけの利益と同じ意味ではないことだ。長い投資の成果を読むときにも、どの範囲の数字を見ているかを分けると、実際に変わったことが見えやすい。

広告、ブログなどのメディア、ゲーム、映像。サイバーエージェントの起業後は、違う事業を次々に始めた歴史に見える。しかし、それだけでは、なぜ同じ会社の中で続けられたのかが分からない。新しい分野へ人を集め、育て、権限を渡し、事業を続ける時間を持たせる。目立たない組織の仕事が、その間をつないでいる。

大学時代、若い経営者の近くで働いたことで、会社を作るという目標が具体的になった。起業後には、今度は自分の会社が、若い人に挑戦の機会を渡す場所になる。自分が経営者になれるかという問いから、次の挑戦を担う人が育つ会社であるかという問いへ。物語の主語が、一人の創業者から組織へ広がっていった。

上場の壇上で注目された26歳の姿だけなら、速さがこの物語の魅力になる。だが、その後の長い時間を読めば、別の強さが見えてくる。人が去る現実から学び、働く場を変え、事業が育つまで付き合う。その遅い仕事を引き受けたことが、次の拍手を一度きりにしない経営へつながっている。

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出典と事実確認(9件)
  1. 藤田晋本人:プロフィール ↗
  2. サイバーエージェント:沿革 ↗
  3. サイバーエージェント:統合報告・事業と組織の変化 ↗
  4. 藤田晋の文章:長く働ける会社への転換(PHP) ↗
  5. 東京大学での藤田晋の講演:高校・大学・アルバイト ↗
  6. 本人インタビュー:創業期とオン・ザ・エッヂとの仕事(ドリームゲート) ↗
  7. 公式:事業創出を支える「あした会議」 ↗
  8. 公式本人インタビュー:ABEMAと2022年ワールドカップ ↗
  9. 公式IR:メディア&IP事業の範囲と2025年度の黒字化 ↗

本人の回想は、後年語られた内容として扱っています。動機や法的評価を推測で補っていません。歴史の全期間や直近の役職・業績を網羅するものではありません。

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