起業前夜 / 7人の物語

第4話 / 堀江 貴文

作る人から、拡大する人へ。そして再出発

堀江貴文:画面の向こうへ、もう一度

一度すべてが止まったあと、挑戦する場所を選び直せるか。

中学生時代〜2019年 約4,384字・約9分

この話の目次

起業前 / 学生時代から

学校の外で、コードが動いた

中学生の堀江貴文が夢中になったのは、パソコンだった。久留米の中高一貫校へ通っていた時期に、画面の中へ命令を書き込み、自分の考えたとおりに動かす面白さを知る。本人の回想では、学校の勉強よりもプログラミングへ引かれていったという。出来上がったゲームを遊ぶだけでなく、仕組みを自分で作れることが、新しい遊びになった。

コードが正しくなければ動かない。だが、直せば動くこともある。この反応の速さは、成績や肩書きとは違う手応えをくれる。堀江は、教材用のプログラムを別の機種へ移す仕事を頼まれた経験も語っている。自分にとっての遊びが、他の人にとって必要な作業になる。技術が仕事へ変わる境目を、早い時期に経験していた。

その後、東京大学へ進学する。本人の学生時代についての話では、さまざまなアルバイトを経験し、コンピューターに関わる仕事を通じてMacやインターネットと出会ったことが、起業につながったという。大学へ入ったことだけでなく、大学にいた間に何へ触れ、どんな仕事をしたかが、後の道を左右している。

ここでの技術好きは、単に機械が詳しいという性格の説明ではない。自分で仕組みへ手を入れれば、利用する側の不便を変えられる。しかもネットを使えば、作ったものを離れた相手にも届けられる。中学生の部屋で完結していたプログラミングが、他人や企業の仕事とつながる条件が、次第にそろっていった。

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堀江貴文編 第1場面「画面は、見るものから作るものへ」のAI生成イラスト(創作)01
創作のセリフ:必要なら、まず作ってみればいい。

起業前・1990年代

画面は、見るものから作るものへ

堀江は後年、起業した時期を、安価なPCでもネットのサービスを動かしやすくなった技術の変化と結びつけて説明している。高価な専用の機械を持つ大組織だけのものではなく、比較的小さな資金や人数でも、仕組みを作れる余地が広がっていた。

技術が安くなることは、単に経費が減ることではない。始められる人の範囲が変わる。必要なものを自分で調べ、組み合わせ、動かせるなら、許可を待たずに試せる。本人の起業の語りに大げさな決意が少ないのは、目の前に実行できる作業があったという感覚ともつながっている。

ただし、作れることと、事業として続くことは違う。動く画面を完成させても、依頼者が求めたものと違えば仕事にはならない。納期、費用、保守などの条件もある。学校時代のプログラミングから、実際の顧客に向き合う仕事へ進むときには、技術以外の約束も引き受けることになった。

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堀江貴文編 第2場面「オン・ザ・エッヂ、始動」のAI生成イラスト(創作)02
創作のセリフ:企業のやりたいことを、動く画面にする。

1996年

オン・ザ・エッヂ、始動

1996年に設立したオン・ザ・エッヂは、当初Webサイトの構築などを主に手掛けた。企業がネット上へ情報を出したいと思っても、社内に作れる人が十分にいるとは限らない。その隙間を埋める仕事は、ネット利用が広がる時代に増えていく。

一方、受託の制作には、依頼を受けるたびに作業が発生するという性格もある。売上を増やすには、仕事を増やし、人や工程も増やす必要がある。そこで作った仕組みを、複数の顧客が使えるサービスへ変えられれば、成長の方法も変わる。制作会社からサービスを持つ会社へ進む動きは、この違いを含んでいる。

初期には、サイバーエージェントとの共同事業もあった。広告サービスで、企画や営業とシステム開発を組み合わせる関係である。後に別々の巨大な会社として語られる二人も、最初から独立した世界で成功したのではない。互いの役割を使いながら、ネット上の新しい商売を形にした時期があった。

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堀江貴文編 第3場面「作る会社から、集める会社へ」のAI生成イラスト(創作)03
創作のセリフ:サービスそのものを、持つ側へ。

2002年〜

作る会社から、集める会社へ

2000年代に入ると、営業権の譲り受けや会社の買収を通じて、事業の範囲を広げる。2002年には、旧ライブドアの営業を引き受け、livedoorというブランドが加わった。Webを作る技術だけでなく、人が集まり、継続して利用するサービスを持つことへ、仕事の重心が移っていく。

会社を買う方法では、技術や顧客、人員などを一から育てる時間を縮められる。一方、違う経緯を持つ事業を、同じグループとして運営する仕事が増える。買う判断は、買収後に何をそろえ、何を変えるかという実務の始まりでもある。企業名が増えることだけでは、事業の中身が一つになるわけではない。

ここからの堀江は、自分でコードを書く人という姿だけでは捉えられない。資本を使って事業を集め、注目を集め、その先の成長を描く経営者になる。技術を直接動かす仕事と、会社という仕組みを動かす仕事は似ているようで違う。その差が、会社の規模とともに大きくなっていく。

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堀江貴文編 第4場面「ネット企業が、社会の中心へ飛び込む」のAI生成イラスト(創作)04
創作のセリフ:新しい会社にも、参加する道はあるはずだ。

2004年〜2005年

ネット企業が、社会の中心へ飛び込む

2004年の近鉄球団買収への動きは、ネット企業が既存の社会的な仕組みへ参加しようとした出来事だった。堀江は記者会見で参入の意向を説明し、球団を運営したいという考えを公にする。その後の再編では楽天の新球団が誕生し、ライブドアの参入は実現しなかった。挑んだことと、結果を得たことは分けて読む必要がある。

翌2005年には、ニッポン放送株を大量に取得する。フジテレビとの資本関係も絡み、放送とネットの関係が社会的な争点になった。サイトの機能を作る場合と違い、既存の企業の支配や株主の利益が関わる。自分たちの技術が優れていると主張するだけで、参加の条件が決まる世界ではない。

最終的には、ニッポン放送株をフジテレビへ譲渡し、フジテレビがライブドアへ出資する形で決着した。経営における挑戦の結果は、勝利か敗北の二択に収まらない。最初に狙った形にならなくても、資本関係や事業環境は変わる。そして注目が大きくなるほど、経営者の発言と会社の行動は、広い社会から見られるようになった。

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堀江貴文編 第5場面「加速していた物語が、止まる」のAI生成イラスト(創作)05
創作のセリフ:……立ち止まる時間になった。

2006年〜2011年

加速していた物語が、止まる

2006年に逮捕・起訴され、2011年に実刑判決が確定する。ライブドアをめぐる事件は、急成長の勢いを語る場面とは、性格がまったく異なる。証券取引法違反事件として逮捕・起訴され、堀江本人については実刑判決が確定した。経営者としての挑戦や技術の先進性が、この法的な結果を消すものではない。

長編でここを詳しくする意味は、事件を刺激の強い見せ場へ変えることではない。会社が株式市場から資金を集める以上、投資家が判断するための情報には重大な意味がある。成長の構想と、それを説明する情報の信頼性は、どちらも企業を支える条件になる。

やがて2011年に収監される。起業した頃には、できることをすぐに動かす反応の速さが、物語を前へ押していた。この局面では、自分の判断だけですぐに次へ移ることはできない。勢いで距離を縮めてきた人生に、自分では縮められない時間が生じた。その違いが、次の章の出発点を重くする。

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堀江貴文編 第6場面「戻る場所は、同じ会社ではない」のAI生成イラスト(創作)06
創作のセリフ:過去は消えない。次に、何をするか。

2013年3月

戻る場所は、同じ会社ではない

2013年の仮釈放後、発信や事業に関わる活動を再開する。ネットのサービスや情報発信は、会社の社長という一つの役職に就いていなくても行える。かつての会社へ戻るという形ではなく、個人としての発信力や事業への関与を、改めて組み直していくことになる。

ただし、ここからの仕事を、過去から完全に切り離した新しい人物の物語にはできない。以前の活動によって得た知名度も、事件に対する評価も、社会には残る。応援する人も、距離を置く人もいる中で、具体的な活動の結果を積み重ねていくことになる。

宇宙ロケットへの関心も、釈放された日に突然生まれたものではない。以前から関与していた領域であり、活動を再び進める中で、重要な挑戦の一つになっていく。同じ人の中で続いていた関心と、いったん止まった経営者としての時間。その二つが、再出発の場面で重なっている。

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堀江貴文編 第7場面「画面の中では、飛ばない」のAI生成イラスト(創作)07
創作のセリフ:一人じゃ飛ばせない。チームで積み上げる。

2017年〜2018年・初号機と2号機

画面の中では、飛ばない

ロケットは、技術を組み合わせて動かすという点では、若い頃のプログラミングとつながって見える。だが、設計の間違いが起きたときの影響や、一度の試験に必要な準備は違う。書き換えてすぐ再読み込みするようにはいかない。安全を確保し、部品を作り、試験の結果を次の設計へ返す時間が必要だった。

2017年のMOMO初号機は、飛行中に機体からの情報が途絶え、緊急停止となった。2018年の2号機は、打ち上げ直後に推力を失い、落下・炎上した。公式の結果には負傷者が出なかったことも記されている。成功した3号機だけを見れば消えてしまう、試験と失敗の履歴がそこにある。

大きな失敗の映像が広がると、外からは開発全体が無意味だったように見えることもある。しかし技術の開発では、何が起き、何を確かめ、次に何を変えるかが重要になる。ここで物語を動かしているのは、堀江の発言だけではない。解析し、改良し、次の機体を作る人たちの具体的な仕事だった。

3号機に向けては、クラウドファンディングによる支援も募られた。失敗を公にした後にも、次の試験へ進むための資金と理解を集める必要がある。知名度があれば、それだけで機体が完成するわけではない。支援する人へ状況を伝え、開発の現場が次に何をするかを示す。技術と資金と説明の仕事が、打ち上げへ向けて同時に必要になっていた。

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堀江貴文編 第8場面「高さ113.4キロの、チームの成果」のAI生成イラスト(創作)08
創作のセリフ:届いた。ここから、また次の課題だ。

2019年5月4日

高さ113.4キロの、チームの成果

2019年5月4日、3号機は宇宙空間へ到達した。最大高度113.4キロという結果は、宇宙という大きな言葉を、測定できる成果へ変える。打ち上げの映像の数分間には、その前の長い準備と、先行する機体で得た経験が詰まっている。

ただし、観測ロケットが宇宙空間へ届くことと、衛星を軌道へ投入すること、あるいは人を宇宙へ運ぶことは、それぞれ異なる課題である。この到達を、それらすべての完成のようには語れない。何を実現したのかを具体的にすることで、成功の価値を小さくするのではなく、正確に見ることができる。

若い頃には、プログラムを書いて画面が動くことで手応えを得た。今度は、多くの人が関わった機体が、計測された高さへ届いた。手を動かせば何かが変わるという感覚は残っていても、それを実現する主体は、一人の技術者から、さまざまな役割を持つチームへ広がっている。

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起業後 / その先の時間

起業後の時間を、もう一歩先まで

堀江の起業後の物語は、技術から資本へ、そして別の技術の現場へと、何度も重心を移す。Web制作の頃には、作る能力が仕事の入口になった。会社が大きくなるにつれて、事業を買い、社会的な仕組みへ参加する経営の判断が前面へ出る。そこでは、技術とは別の規則と責任が重要になる。

事件と服役を、その後の挑戦を盛り上げるための単なる谷にしてしまうと、法的責任の意味も、そこから再び活動することの現実も薄くなる。過去を打ち消すのではなく、残ったまま次の仕事をする。その方が、再出発という言葉の重さに近い。

ロケットの到達も、本人の人生だけを描くための舞台装置ではない。開発会社の経営、技術者の判断、部品を供給する人、試験を支える地域や関係者がある。起業家の名前を入口として読んでも、最後にはその周囲の仕事が見える構成にすることで、起業後の長い時間を一人の武勇伝にせずに済む。

中学生の部屋で、思いどおりに動いたコード。その手応えが、やがて企業を動かす試みになり、そこで挫折と責任を経験し、もう一度、具体物を作る挑戦へつながった。前へ進むことの意味は、その間で何度も変わっている。同じ勢いで走り続けた人ではなく、走る場所と背負う条件が変わった人として、この物語は続いていく。

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出典と事実確認(13件)
  1. 本人インタビュー:起業と2013年までの略歴(DHBR) ↗
  2. 楽天公式:2004年の新球団誕生と球界参入の時代背景 ↗
  3. インターステラテクノロジズ:MOMO3号機の実験結果 ↗
  4. 2004年6月30日の記者会見・現地取材(ITmedia) ↗
  5. 堀江貴文の回想:中学生のパソコンと教材移植の仕事(PHP) ↗
  6. 本人インタビュー:学生時代のアルバイトと起業(慶應塾生新聞) ↗
  7. 本人対談:ネット事業に参入した技術的背景(朝日新聞GLOBE+) ↗
  8. 同時代の記事をまとめた事業史・前編(INTERNET Watch) ↗
  9. 2005年:ニッポン放送株取得の発表(ITmedia) ↗
  10. 事業史・後編:ニッポン放送をめぐる決着(INTERNET Watch) ↗
  11. IST:2017年MOMO初号機の実験結果 ↗
  12. IST:2018年MOMO2号機の実験結果 ↗
  13. ISTのクラウドファンディング:MOMO3号機へ向けた支援募集 ↗

本人の回想は、後年語られた内容として扱っています。動機や法的評価を推測で補っていません。歴史の全期間や直近の役職・業績を網羅するものではありません。

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