起業前夜 / 7人の物語

第6話 / 前澤 友作

音楽を分ける喜びから、ファッションの市場へ

前澤友作:「もっと欲しい」が、街になった

自分の好きなものは、どこまで他人の喜びに変えられるか。

高校時代〜2024年 約4,340字・約9分

この話の目次

起業前 / 学生時代から

通学電車とライブハウスの間で

高校生の前澤友作にとって、音楽は授業の外側で育つ大きな関心だった。早稲田実業へ通いながらバンド活動へ引かれ、大学へ進学する道とは別の将来を選んでいく。本人のインタビューには、通学やアルバイト、スタジオやライブに時間を使った学生時代が語られている。後のファッション通販企業の原点は、まず好きな文化に深く入っていった生活にあった。

卒業後、米国へ渡る。そこで接したのは、音楽が演奏の時間だけに閉じていない文化だった。レコードやCD、Tシャツなどが人の間を渡り、会場の外にもその音楽を好きな人のつながりがある。日本では見つけにくい作品を手に入れることも、音楽を楽しむ行為の一部になっていた。

渡米の動機には、本人の語りの中でも複数の面がある。だから、この旅を最初から通販事業のために計画した視察としては描かない。学生時代から続く音楽への関心、海外での暮らしや出会い、手にした品物。それらが帰国後の活動と結びついて、後から商売の輪郭ができていく。

前澤の出発点を、趣味が偶然お金になっただけの幸運と見てしまうと、その後の仕事が見えにくい。一方、最初から巨大市場を狙った緻密な計画と見るのも違う。自分が欲しいものを知り、同じものを欲しがる人がいると気づき、それを手に入れて届ける。この小さな往復の中に、商売を始めるための、具体的な相手がいた。

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前澤友作編 第1場面「ステージの外にも、文化があった」のAI生成イラスト(創作)01
創作のセリフ:音の外側にも、面白いものがある。

1994年・渡米

ステージの外にも、文化があった

ライブの会場には、演奏を聞くだけではない楽しみがあった。同じバンドが好きな人と会い、知らなかった作品を教わり、物を通じてその文化を持ち帰る。売り場は、商品が置かれているだけの場所ではなく、人の好みが共有される場所にもなる。

その感覚は、のちにネット上でセレクトショップを運営するときにも読み直せる。誰にでも同じものを大量に並べるのではなく、ある好みを持つ人が見れば、その店へ来る理由が分かる。品ぞろえは、商品の集合であると同時に、どんな文化を大切にするかの表現だった。

ただし、海外で面白いものを見つけたこと自体が、日本で売れることの証明にはならない。実際に欲しいと言う相手がいるか、その相手へ届けられるかを確かめる必要がある。前澤の物語は、遠い市場の想像より先に、帰国後の身近な反応によって、次の一歩を得ていく。

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前澤友作編 第2場面「一枚配ると、次の一枚を頼まれた」のAI生成イラスト(創作)02
創作のセリフ:それなら、次は届けよう。

1995年・カタログ通販

一枚配ると、次の一枚を頼まれた

1995年に始めたのは、ネット通販ではなく、輸入レコードやCDのカタログ通販だった。情報をまとめた紙を送り、注文を受け、仕入れや発送を行う。画面を更新すれば済む現在とは異なり、商品を知らせるまでにも物理的な手間がある。それでも、近くの店では出会えない作品を求める人にとって、遠くから買える価値があった。

この商売では、商品の説明をする人が、その文化を知っていることに意味がある。作品を単なる品番として扱うより、なぜ面白いのか、どういう人に向くのかが伝われば、知らない作品を買う理由になる。選んで紹介する仕事が、取り扱う商品に付け加える価値になった。

しかし、好みが合うことだけでは通販は続かない。注文したものが間違いなく届くこと、問い合わせに対応すること、仕入れと代金の流れを回すことが必要になる。好きな音楽を広める活動は、客に約束した結果を届ける仕事へ変わっていく。そこから、趣味と事業の間にある実務が積み重なった。

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前澤友作編 第3場面「好きなことに、会社の名前がつく」のAI生成イラスト(創作)03
創作のセリフ:好きだからこそ、ちゃんと届ける。

1998年5月

好きなことに、会社の名前がつく

1998年、有限会社スタート・トゥデイを設立する。会社にすることは、好きなことをやめて、まったく別の世界へ入ることではなかった。むしろ、続けたい仕事を、人と一緒に継続できる形へ整える段階だった。注文が増えれば、一人で選び、包み、送る方法だけでは足りなくなる。

誰が商品を確認し、誰が注文を処理し、誰が発送するのか。小さな仕事でも、人が増えれば役割を分ける必要がある。最初に創業者の頭の中にあった好みや判断を、他の人が扱える形へしていく。会社が育つとき、増えるのは商品の数だけではなく、仕事を渡すための仕組みでもある。

バンド活動と事業を続けていた前澤も、やがて経営へ専念する。自分の関心が広がるまま、すべてを同じ強さで続けられるわけではない。人と時間と資金を、何に集中するかを決める。その選択が、次にオンラインの売り場へ進むための余地を作っていった。

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前澤友作編 第4場面「音楽の棚から、服の棚へ」のAI生成イラスト(創作)04
創作のセリフ:この感覚は、服にもつながっている。

2000年

音楽の棚から、服の棚へ

ネット販売のサイトはSTMonlineと名づけられた。2000年、CD・レコードのネット販売を始め、同じ年にアパレルのECへ進む。紙のカタログから画面へ移れば、情報を更新する速さや、客が商品を探す方法が変わる。だが、通販で大切だった品ぞろえや説明、発送の仕事が不要になるわけではない。新しい媒体へ、既存の経験を運び直す転換だった。

音楽と服は、品物としては別の分野である。それでも、ある文化を好きな人が、どんな音を聞き、どんな服を選ぶかという点では重なる。自分や周囲の仲間が好きなものを扱う経験が、アパレルへの入口になる。最初から全世代向けの巨大な服の売り場だったわけではない。

ここで難しくなるのは、創業者本人の好みが分かる人だけを相手にしていては、規模に限界があることだ。自分が選ぶ店を増やすのか、別の選ぶ力を持つ店にも参加してもらうのか。自分のセレクトを売る仕事から、多様なセレクトが並ぶ場へ。その次の変化が、ZOZOTOWNへつながっていく。

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前澤友作編 第5場面「一軒の店ではなく、街を作る」のAI生成イラスト(創作)05
創作のセリフ:好きな店を巡る、その楽しさごと。

2004年12月

一軒の店ではなく、街を作る

2004年12月、17のオンラインのセレクトショップを集めたZOZOTOWNが始まる。街という名前には、一つの店舗だけではない広がりがある。違う店を見て回り、好みのものに出会う。ネットで商品を検索するだけでなく、店を巡る体験をどう作るかが重要になる。

場に多くのブランドが参加するようになると、運営側の役割も変わる。自社で商品を仕入れて売る方法に加え、ブランドの商品を預かり、販売や物流を担う受託販売の仕組みも、事業の大きな要素になる。現在の公式な事業説明でも、買取・製造販売と受託販売は区別されている。売上や在庫の意味も、同じではない。

商品が売れた金額のすべてが、そのまま運営会社の売上になるとは限らない。受託販売では、手数料に当たる部分が収益になる。この仕組みを知ると、会社を大きくするとは、服を全部自分で持つことだけではないと分かる。ブランドの力と、売り場・運営の力をどう組み合わせるかが、成長の設計になった。

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前澤友作編 第6場面「華やかな画面の裏に、箱の山」のAI生成イラスト(創作)06
創作のセリフ:画面の向こうで、届くのを待っている。

2006年〜2013年・物流、上場、WEAR

華やかな画面の裏に、箱の山

2006年、千葉県習志野市に物流拠点ZOZOBASEを開設する。2006年の物流拠点開設は、ネット企業が物理的な仕事の基盤を持つ節目だった。服にはサイズや色などの違いがある。画面で正しく選べても、倉庫から別のものが届けば、その体験は失敗になる。サイトの分かりやすさと、倉庫の正確さが、同じ買い物の中で結びついている。

2007年の上場、その後の事業拡大によって、会社はより多くの利用者とブランドを抱えるようになる。2013年にはコーディネートのアプリWEARも始まった。買う場所だけでなく、何をどう着るかを知る場所へも接点を広げる。買い物が発生する瞬間の前に、好みや関心が育つ時間があるからだ。

こうした拡大では、客に近い発想と、規模を支える運営を同時に持つ必要がある。創業者が面白いと思う企画を出すことと、多くの人が毎日問題なく使えることは別の能力だ。最初のカタログを送り出した頃と比べて、届ける相手も、関わる人も、間違いが影響する範囲も、大きくなっていった。

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前澤友作編 第7場面「育てた街を、託す日」のAI生成イラスト(創作)07
創作のセリフ:この先の経営を、託す。

2017年〜2019年・新事業の見直しと退任

育てた街を、託す日

成長の途中には、うまくいかなかった挑戦もある。2017年には採寸用のZOZOSUITを発表し、2018年にはプライベートブランドZOZOの販売を始めた。客の体型に合う服を作るという試みは、売り場を運営する仕事から、商品そのものの作り方へ踏み込む挑戦だった。

だが、新しい仕組みは、期待どおりの規模や採算へすぐ届くとは限らない。2019年にはPB事業の見直しが進み、有料会員制の割引サービスZOZOARIGATOも終了した。会社は入会者数が想定に届かなかったことなどを説明している。好きな体験を作る発想と、多くの利用が継続する条件は、同じではなかった。

同年9月、ヤフーとの資本業務提携を機に、前澤は経営を澤田宏太郎へ託す。この退任を、特定の失敗一つが直接引き起こしたと断定することはできない。公式発表は本人の意向によるものとしている。会社の成長、複数の挑戦と見直し、そして経営の引き継ぎを、時間の流れの中で分けて読む必要がある。

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前澤友作編 第8場面「見たことのない景色を、もう一度」のAI生成イラスト(創作)08
創作のセリフ:まだ、見たことのない景色がある。

2021年12月

見たことのない景色を、もう一度

2021年12月のISS渡航は、会社の経営と創業者個人の行動を分けて見る場面になる。前澤が利用したのはソユーズ宇宙船であり、ZOZOが宇宙船を開発したわけではない。起業家の資金や知名度が、既存の宇宙飛行の仕組みと結びついて実現した体験だった。

宇宙から地球を見るという出来事は、強い映像になる。しかし、これを本人の歩みの最終的な成功として置くと、その後も続く事業や、実現しなかった計画が見えなくなる。新しい景色へ行けたことと、構想したすべてを実現できたことは違う。

JAXAの記録には、ISSへの短期滞在と地球への帰還が具体的な日時とともに残る。大きな夢を語る人物の物語でも、実際に起きたことを確かめる足場は必要だ。音楽の会場で手に入れたレコードから、宇宙船の窓に映る地球へ。距離は大きく変わったが、読者は、その間にある仕事の履歴も一緒にたどってきた。

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起業後 / その先の時間

起業後の時間を、もう一歩先まで

前澤が発表していた月周回計画dearMoonは、2024年6月に中止が公表された。予定していた時期の実施がかなわず、近い将来の見通しも明確でなかったことが、公式の説明にある。ISSへの渡航が実現したことと、この月周回計画が実現したことを混同してはいけない。大きな資金と意志があっても、他の開発や時期に依存する計画には、自分だけでは決められない条件がある。

同じ2024年には、カブ&ピースによる生活インフラ関連サービス「カブアンド」の開始が発表された。利用と株式の申し込みを組み合わせ、利用者が会社の未公開株を受け取る仕組みを打ち出す。好きな商品を買ってもらう商売から、日常の利用と会社への参加を結びつける仕組みへ、再び事業の発想が移る。

これは新事業の紹介であって、その株式の将来価値や事業の成功を保証する話ではない。ここでも、構想として魅力があることと、継続する事業として結果が出ることの間には時間がある。起業家の次の一手を読む面白さは、その間の距離まで眺めることにある。

前澤の物語を学生時代から通して見ると、好きなものへ近づく行動が、何度も商売の形を変えている。カタログを送る、ネットの店を作る、ブランドを集める、物流を整える、経営を渡す、別の事業を始める。そのすべてが同じ成功の延長だったわけではない。変わらない好奇心と、変えざるを得なかった方法。その二つが、長い起業後の時間を作っている。

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出典と事実確認(12件)
  1. EY:Entrepreneur Of The Year Japan 2009・前澤氏の歩み ↗
  2. ZOZO:会社沿革 ↗
  3. ZOZO:2019年・新社長就任のお知らせ ↗
  4. JAXA:ソユーズMS-20ミッションと帰還 ↗
  5. 本人インタビュー:学生時代から通販の出発点(ドリームゲート) ↗
  6. 本人インタビュー:バンド活動から経営への専念(Business Insider) ↗
  7. ZOZO公式:買取・製造販売と受託販売の事業モデル ↗
  8. 2018年:プライベートブランドZOZOの販売開始 ↗
  9. 2019年:ZOZOARIGATOの終了理由と対応 ↗
  10. 2019年:PB見直しの決算会見取材(WWDJAPAN) ↗
  11. dearMoon公式:2024年6月の計画中止発表 ↗
  12. カブ&ピース発表:2024年のカブアンド開始 ↗

本人の回想は、後年語られた内容として扱っています。動機や法的評価を推測で補っていません。歴史の全期間や直近の役職・業績を網羅するものではありません。

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